ファンドレイザーのお仕事

ファンドレイジングについての知識と感情とあれこれ。

寄付の目的について考える

前回の記事を書いてから、いろいろと考える機会があり、少し自分なりに分類できたので書いておきます。今後また考え方が変わる可能性もあるけれど、今の自分が理解できる範囲での備忘録として。

 

寄付を目的別に分けてみる

前回は1と2を混合していたけれど、自分の中で分けた方がスッキリする気がするので分けてみました。

 

1.共感・同情による寄付

災害や紛争、貧困など「今困っている人がいる」社会課題に対して、その解決や被害者の救済のための寄付。ファンドレイジング的にはインパクトのあるビジュアルやデータ、過去の活動実績などの信頼情報、受益者のストーリーなどを用いた共感の醸成が大切と言われてる。環境や動物などの保護・救済活動も含む。

個人的には、前にも"ファンドレイジングの「アリ」と「ナシ」"で書いたように、可哀想な子どもの写真を使った寄付集めには賛同してないんですが、大手NPOさんが何年もやってるので、王道ということなのでしょう。

 

fundraising.hatenablog.jp

 

 

2.社会を変える投資としての寄付

社会課題の構造を明らかにして、根本から解決するための仕組みを見つけたり、支援が行き届いていない課題を見える化する活動などに対する寄付。将来起こりうる課題に対しての予防を訴える場合もある。ファンドレイジング的には高い専門性やネットワーク化が要。成果が出るまで時間がかかる事も多く、アドボカシーだけではお金が集まりにくいため、上記の1による寄付や長期的に支援するマンスリーサポーター、フラッグシップになる事業などと組み合わせることも大切。

課題を見える化することが重要で、必ずしも課題を解決する必要はない。(顕在化すれば行政が解決に向けて予算をつけたり制度を整えたりする可能性があるので)

 

3.徳を積むための寄付

社会課題ではなく「寄付をする行為」自体を目的とする寄付(喜捨・布施)。仏教的な寄付とも言える。自らの煩悩を捨てて徳を積むことが目的のため、ファンドレイジング的には寄付金の使途より寄付者自身にフォーカスした方が良い。行為としては托鉢などに代表されるように日本に古くからある寄付文化の一つと言えるが、現在のファンドレイジング手法としては「過去のもの」との認識から、あまり重視されていない。

喜捨は宗教により意味付けが異なるが、私がここで言おうとしているのは仏教的(特に禅宗的)な意味での喜捨であり、義務よりもっと積極的に自ら望んでお金を手放すという意味で使っています。お金と物という違いはありますが「断捨離」に近い考えだと思います。

 

イスラム教的な喜捨 

困窮者を助けるための義務的な施し

 

禅宗的な喜捨

物やお金など大切なものを自ら手放すことにより、執着心から解き放たれてより大切な存在を発見するための行為

 

まとめ?

ファンドレイジングの大きな流れは、共感のマネジメントとインパクト評価に向かっています。社会的投資として「より多くの人に共感してもらい、お金や時間を寄せ合って社会課題を解決する」というもので、スクールでの学びもまさにそれでした。その中で、自分がファンドレイザーとして活動していくうえでは「寄付者を幸せにする寄付」をテーマにしていきたいと考えています。寄付という行為を「課題を解決するための資金調達」から「寄付者と支援先の双方を幸せにするアクション」としてデザインできるように、今後も勉強を続けます。